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日常の雑事をこなす充実感の真相~京大受験と就活で後悔したこと~

日常の雑事に埋もれるあまり、やりたいことがなかなかできないという経験はあなたにはありませんか。私にはあります。というより、今までの人生のほとんどがそうです。

ここでいう日常の雑事とは様々ありますが、例えば、部屋の掃除や買い出し、洗濯、飲み会のセッティングなどが挙げられます。なぜ私たちは本当にしたいことを差し置いてこれらのことを優先させてしまうのでしょうか。

 

それは、我々人間は多少の忙しさや充実感を求める生き物だからです。そして、それを簡単に満たしてくれるのが、日常の雑事をクリアするという行為なのです。雑事でスケジュール帳を埋めてそれを次々とこなしていくことは満足感が得られます。『今日もやるべきことをやったぞ』という満足感は『今日という一日は無駄ではなかった』と自分に刷り込むための絶好の言い訳になります。

一方、自分のやりたいことをすると、『これはいったい何の役に立つのだろう』なんて考えてしまうことでしょう。私たちは数字や成果を求められる世界で生きているので、やりたいことのように成果に直結しないことを避けてしまうのかもしれません。あるいは『やりたいことをやりたいことのままにしておきたい』のかもしれません。やりたいこについてあれこれ想像するのは楽しいですよね。でも実際に手を付けると意外と面倒だったりします。やりたいことのはずなのに、自分は怠け者なのかな、なんて考えて幻滅してしまいます。そんな風に感じてしまうくらいなら、後回しでいいや、と考え日常の雑事を優先するのです。日常の雑事は簡単に成果が出るうえ、やるべきものなので、自分は怠け者ではないという言い訳にはもってこいなのです。でも誰もが本当はこう思っているのです。『やるべきこと』より『やりたいこと』をしたいと。

 

冒頭で私は、日常の雑事に埋もれて人生のほとんどを生きてきたと述べました。『やりたいこと』より『やるべきこと』を優先して生きてきたのです。もっとも、私は『やりたいこと』が自分自身で分からなかったため、正確には『やりたいことを見つけること』より『やるべきこと』を優先してきた、ということになります。いずれにせよ、この生き方には少し後悔しています。

まずは高校生の頃。京都大学を受験するために勉強ばかりしていました。勉強は大嫌いでしたが、他の子に負けたくないという思いでひたすら机に向かっていました。私のいた高校では、部活動が存在しないこともあり、勉強すれば全てが肯定される環境でした。私はそれを利用して、自分のやりたいことや将来について考えるという、困難な作業をさぼっていたのです。進路相談では『将来の夢は医者です』と言っていましたが、それは本心ではなく、そう言っておけば教師も喜ぶし深く追及されないだろう、と分かっていたからです。しかしそんな風にして中高時代を生きてきたため、大学に入学しても何をすればいいのかが分からなかったのです。レールに乗って生きてきた私が、急にレールを外されても何処に向かえばいいのやら皆目見当が付かないのです。そうこうしているうちにあっという間に時間が経ち、大学院に配属されるまでの3年間を無為に過ごしたのでした。大学に入学するまでに、少しでも自分のやりたいことを真剣に考えておけばよかったと後悔しています。

しかし、この後悔を生かすことができないままツケを払うのが大学院1回生の頃。就職活動の時期です。就活では、しかっかりと己を見つめて、自分のやりたいことを明確にしなければいけません。自己分析というものです。それは面接を乗り切るためというだけではなく、自分の幸せの為にも必要な作業です。でも私は自分のやりたいことなんて分かりませんでした。おまけに、自己PRする材料も乏しかったのに、確実に、人一倍就活を頑張らなければいけない部類に属していました。それなのに私はこの頃、就職活動に本腰を入れず、研究活動ばかりしていたのです。またしても私は、やりたいことを探すという困難な作業から逃避して、研究活動という『やるべきこと』ばかりしていたのです。なかには研究活動ばかりすることの何が悪いのだ、という人もいるでしょう。国立大学の研究費には国費が投じられているのでなおさらです。当の私もそう考えていました。でも本心では分かっていたのです。研究にいそしむことで、就職活動を本気で取り組まない自分の怠慢を正当化できるのだと。そして今になって後悔するのです。もっと自分のやりたいことに向き合えば、いまこんなに自分の人生を思い悩むこともなかった筈なのにと。

 

【まとめ】

日常は沢山のやるべきことで溢れかえっています。その代表格が雑事、あるいは仕事です。それらをこなすことは、自分のやりたいことに向き合うという困難な作業から目を背ける絶好の言い訳です。でも『やりたいこと』より『やるべきこと』を優先してしまうと後で後悔することになりかねません。日常の中に、少しでもいいので自分の『やりたいこと』に向かい合う時間を設けたいものですね。