~お悩み上等地球人のBLOG~

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生きている意味とは

自分が生きている意味とは。

これは、大学時代の私が常に悩み続けてきた命題です。毎日毎日この疑問が頭から離れたことはありませんでした。結論から言えば、いま現在、ほんの少しだけ私はその解答を見出すことが出来ました。が、それは同時に更なる迷宮への入り口でした。つまり、結局いまはまだ自分が生きている意味を見つけられていないのです。

 

 

ところで、私のように『自分が生きている意味とは何か』について悩んでいる人は世の中に大勢いるのではないでしょうか。Yahooでためしに『生きている』で検索したところ、次の順にヒットしました。

『生きている意味』

『生きている証』

『生きているのが辛い』

やはり皆同じように悩んでいることと推測します。一人の人間として産まれた以上、自分が生きている意味を実感したいものですよね。

(もっとも、『生きている~』に続く単語はそう多くないかもしれませんが、三番目に『生きているのが辛い』と出てくるあたりは少々胸が痛いような。。。)

 

もしあなたが毎日楽しく充実しているにもかかわらず、ふとした瞬間、例えば独りになった時などに『自分の生きている意味』とはなんだろうと疑問が浮かぶなら・・・それはいたって普通のことなのだと思います。現状に不満はないはずです。そういう瞬間は誰にでも訪れるものです。

ですが、これが毎日のように『自分の生きている意味』とは何だろう、と考えているとすれば、少なくとも現状に満足していない、いや、現状を辛いと思っていると考えて間違いないでしょう。

 

私は京都大学在学時、毎日のように『自分の生きている意味』とは何かについて考えていました。そんなことばかりを考えるということは、つまり、毎日が辛かったのです。私の大学時代については別記事で紹介しますので、詳細は割愛しますが、私は在学中、人と関わることが殆どありませんでした。あるとすれば授業に出席して、顔見知りのクラスメイトと形だけの挨拶を交わすだけです。これが3年間続きました。あまりにも人と接することから遠ざかっていたので、コミュニケーションを取るのがおっくうになり、最終的にはコンビニ店員と金銭のやり取りをすることすら嫌になっていました。

こんな毎日が辛くないわけもなく、私は毎日『自分は何の為に生きているのだろう』と自問自答していました。

そんなある日、たまたま観ていたテレビで『今の若者は自分が何の為に生きているのか分かってない』というようなことを言っていました。そしてこう続くのです。

 

『幸せになるためだよ』と。

 

私たち人間は、一人残らず『幸せになるために生きている』のです。なんたるシンプル。シンプルすぎて少し肩すかしを食らった方もいるかもしれません。『幸せになるために生きてるなんて、そんなの当然じゃないか』と。そうなんです。当たり前のことなんです。でも私はこの答えに辿り着くまで20年以上掛かりました。それには理由があります。

『いい大学に入って、いい企業に入る→幸せ』という幻想をまんまと妄信した私は小中高と一貫してお勉強ばかりしてきました。英語や数学、化学の勉強など、やるべきことを目の前にぶら下げられていた日々のなかでは、自分の人生を真剣に考えなくとも済んだのです。出された課題をただ消化していけばいいからです。でも大学に入学した途端、やるべきお勉強の量はぐっと減少しました。いきなり生きる目的を取り上げられ、『さぁ自由に生きてみなさい』と言われたようなものです。ここで私は産まれて初めて自分の『生きている意味』を考えるようになったのです。そして長い時間を掛けて『幸せになるために生きている』という答えに辿り着いたのです。

 

しかし、ここで新たな疑問が生じました。それは

『自分にとっての幸せって何だろう』

ということです。

 

こんなことを言うと『何を腑抜けたことを言ってるんだ』と怒られるかもしれません。しかし、自分にとっての幸せが何かを自信をもって言える人はどれくらいいるんでしょう。少なくと私は言えません。冒頭で、自分が生きている意味をほんの少しだけ見いだせたけど、それが更なる迷宮への入り口だと申し上げたのはこういう由縁だったのです。

『自分は何のために生きてるんだろう。そうだ、幸せになるためだ。じゃあ自分の幸せってなんだろう』

という具合です。

 

私はそれから自分にとっての幸せは何かを模索してきました。そしてそれはまだ続いています。これはそう簡単には見つからないでしょう。一生かかってでも見つけ出す類のものだと思っています。そうして幸せ探しの旅を続けているうちに、しかし私は自分なりに幸せの定義に辿り着きました。

 

それは

『いかに自分らしく生きているか』

です。

 

例えば『これをしている自分が一番自分らしい』とか『この人といると自分らしさを出せる』とか、そういうのが幸せなのだと思います。逆に『これをやっていてもいまいち楽しくない』とか『この人といると自分を偽らなくちゃいけない』という状況は幸福とは言えなさそうですね。

この『自分らしさ』というのを知るには当然、自分自身をよく理解しなければいけません。簡単に理解できる人もいればそうでない人もいます。器用になんでもこなせてしまう人は自分自身を知るのに苦労するように思います。逆に、頑固で一つの考えを貫くタイプの人はすんなり自分を理解できるでしょう。

もし、自分にとっての幸せが何か分からないという人がいれば、面白そうなことを手あたり次第にやってみたり、色々な人と交流するといいかもしれません。そうしているうちに、自分にあった趣味や対人関係が見えてきて、幸せに近づけるかもしれません。

あるいは、いま身近にある不幸を遠ざけるというのも逆説的に幸せに近づく方法かもしれません。自分にとって何が幸せかなのか見当がつかない人でも、自分にとって何が不幸かということはノートに30個書き出すくらい容易いのではないでしょうか。

もっとも、『身近な不幸を自分の力では取り除くことができないという不幸』が殆どのケースではないでしょうか。ですから、不幸を取り除くという守りの姿勢も必要ですが、より積極的に、自分にとっての幸せを探すという攻めの姿勢も大切なのかもしれません。

 

私も早く自分の幸せの形というものを見つけ出したいものです。